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めんどうな男の話

 
犬猿の仲だと自他共に認める関係から一転、殺し合いと並行して恋人まがいの行為を繰り返すようになってから半年ほどが経つ。臨也は自身の中に巣食う恋情のようなものを昔のように排除しようとしたりせず、静雄相手に慈愛溢れるキスをしたり、気の向くままに好きだよと伝える自分を愉快に思っていた。静雄は静雄で、五月蠅いだなんだと言いながらも満更でも無いらしい。要は、過去と比較すれば溶けそうなほどに甘い愛の日々を、臨也は満喫していたのである。
そんなある日、臨也は自分の中に生まれた欲に気づいた。静雄を傷つけてみたくなったのだ。これは知識欲である、と臨也は定義づける事にした。「蝶の羽をむしると芋虫になるのか」なんて馬鹿げた実験を試す子供のように純粋な知識欲。自分の場合は蝶が静雄に変わっただけだ。
子供と同じレベルの知識欲と、子供以上の行動力を併せ持ってしまったこの男は早速実験を試みた。自分の家に夕飯を食べに来た静雄をベッドに連れ込み、情欲を煽る意図的なキスを何度か繰り返した後に、彼は蝶の羽をむしる事にしたのだ。
要は静雄がすっかりその気になったあたりを見計らい、馬乗りになった彼の腹の上でにっこりと微笑んでみせたのである。

「あーあ、飽きちゃった。いい加減この遊び、そろそろやめようか」
「……あ?」
「愛されたがりのシズちゃんの望みでも叶えてあげたかったんだけどね、俺もう心にもない事言うの疲れちゃって」
さぁ、と臨也は心の中で舌なめずりをする。蝶は芋虫になり得るのかどうか、見せてもらおうじゃないか。



めんどうな男の話




効果はてきめんだった。とろけた瞳の中に驚きと諦念が混ざったような―怯えにも似た―色を一瞬だけ強く宿し、静雄は臨也の視線から逃れるように俯く。なにかを堪えるように下唇を噛みしめた静雄を上から見下ろし、臨也は湧きあがる激情に背筋をふるわせた。傷ついている。静雄が、自分の言葉によって。
「ははっ・・・傑作」

思わず漏らした一言に、ひくりと伏せられた瞼が反応する。静雄の目尻は薄赤く染まっていて、それが怒りから来るだけのものでない事は最早明らかだ。これってシズちゃん、もしかして泣くんじゃないの。そんな疑問が首をもたげ、瞬間再び背中を何かが駆け巡る。
「いやだな、シズちゃん」
どうすればいいのか、自分でも抑えが効かなくなっていた。泡立つ勢いで溢れ出るこの激情は、嗜虐的快楽でも、侮蔑でも、怒りでも無い。
「傑作すぎるよ、何その顔。傷ついちゃった?それとも同情されていた自分に対しての嫌悪とか感じてる?大嫌いな俺なんかに同情されて、好きだよなんて言われちゃって、あまつさえそんな甘言に絆されちゃってたんだもんねぇ。自己嫌悪に陥るのも当たり前だよね、ていうか俺なら絶対そうなるな、間違いない。だってシズちゃん、君は俺が嘘つきだって知ってるはずじゃないか。ペテン師って名札をつけた男のペテンに騙されて、そんなバカな話は無いねぇ」

どうでもいい事を、というか静雄の表情を変える何かを話していなければ、とんでもない事をしでかすスイッチが入ってしまいそうで、臨也はなかば必死で言葉を紡いだ。傷ついて欲しかった。望み通り、願い通り、彼はまんまと傷ついた。天敵である自分の目の前で屈辱的であろう表情まで見せ、臨也の目論見は大成功を収めた筈だ。なのに何故か潤わない。欲は満たされぬまま、乾いた心が喘ぐように苦しい。
どうしてだと自問自答を繰り返す中でハタ、と思い当たる。もしかして、傷ついても尚その事実を否定する彼を見たかったのか。ふざけんな死ね、と地を這うような声を吐き捨てるいつもの憤怒の表情に滲む傷心を拝みたかったのかも、そうなのかも。
ならばかける言葉を変えてみればいい、簡単なことだ。
「バカなシズちゃん。大馬鹿なシズちゃん」
言って、待つ。期待していた高揚感は訪れなかった。自分の願望すら手探り状態になってきた臨也の下で、なおも静雄は動かない。
「シズちゃん、ねぇ、何、ほんとに傷ついちゃったの?俺なんかの言葉で?傑作すぎるね、あぁもう何とか言ったらどうなのさ、シズちゃん、ねぇ、」
しんと静まり返った室内に、静雄を呼ぶ声だけがほたほたと落ちた。